独り言とは何か

先日、FM放送で、カナダ人のパーソナリティが、日本人の「独り言」について話していたことが、頭を離れない。
こういう話だった。ある人(パーソナリティ本人なのか、友人なのか、場所がどこなのか、覚えていないが、英語話者である「ガイジン」であった)が電車のホームで隣にたっている日本人が「ああ、寒い」といって、その後も、何かぶつぶつ繰り返すのを聞いて、思わず、「なにか私に話したいことがあるのか」と聞いてしまったのだそうだ。すると、その日本人は、「何も、べつに」という。この人物は、変だと思い、「少し頭のおかしい人」の行動のように思えてきた、という。
そして、そのパーソナリティは言う。日本人の言葉は、単語が多く、英語はそうではない。簡単な言葉でも、文章をなしている。そして、「独り言」はしない。それを意味する言葉すらない、という。
辞書を調べてみると、monologueを「独り言」としていたものがあったが、これは、違う。モノローグとは、芝居で登場人物同士が会話を交わすダイアローグではなく、状況の説明とか、その人物の内面を言葉にするものであって、日本語でいう「独り言」とは違う。また、「mumbuling words」という言葉もあげられていた。これは、また違う。口中でぶつぶつと言っていることをさしているのだが、語感としては、奇妙な(あるいは病的な)行動でいつも、口の中でぶつぶつと話している、といった感じであろうか。
同僚の心理学者に聞いてみると、奇妙な人というイメージは、映画の「レインマン」のなかで主人公レイモンドのように、必要なコミュニケーションの内容と関わらず、ぶつぶつと何事かを繰り返す、といったものだろうという。
気になったことは、まず、日本語話者には存在する「独り言」は英語話者にはないこと、それは、言語の問題なのか、文化の問題なのか。一人暮らしの人間に「独り言」が増えるというのは、コミュニケーションの不足を補うために声を発するためという。これは、コミュニケーションの動物である人類にとって、普遍のことであろうと想像から、英語話者であれ、「独り言」が見られても不思議ではないのだが。
もし、ないというのなら、「文化」の問題なのだろう。心理学者との会話の中で、「引きこもり」という行動についても、日本人固有のものであるとされていて、当然英語にはないから「hikikomori」とそのままの言葉が用語となっているという。しかし、本当なのか?「引きこもりも」ふくめてみても、これらの行動は、果たして、日本文化(あるいは日本語)に固有のものなのか、東アジアに広がりをもつ現象であるのか。あるいは、逆に英米文化(あるいは英語)に固有なものであるのか。さらに、英語圏のアメリカ大陸に固有のものであるのか、あるいは、英米文化(あるいは英語)だけではなく、ヨーロッパ文化(印欧諸語)といった具合に拡大することができるものであるのか、これらに会わせて、ネイティブに聞いてみなければならないだろう。
関連して、電車の運転手などは「指差換呼」をするが、これは、もちろん「独り言」ではないのだが、こうした行動も、固有の文化行動なのだろうか。もっとも、「指差換呼」という言葉自体、死語に近い、あるいは、業界用語であるのかもしれないらしく、少なくとも手元の「広辞苑」には、見いだすことができなかった。
言葉そのものは文化には違いないのだが、「独り言」のような行動の存在は、生物学的な行動と文化的な行動の境界にあって、非常に興味深いもののように見える。文化人類学者としては、文化的な行動の観点からアプローチして理解したいことは言うまでもないのだが。

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このページは、杉藤重信が2004年2月 5日 21:47に書いたブログ記事です。

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