2004年6月アーカイブ

ようやく長浜

6月29日、ようやく長浜にいくことができた。これまで二度台風の接近で延期していたのだが、今回は、おかげで天候に恵まれた。ずいぶん暑かった。
長浜に平日に出かけたのは初めてだった。火曜が定休という店もあって、店のにぎわいや観光客のにぎわいはなかったのだが・・・。曳山博物館では、普段は2台が公開されて、2台の展示室は保存上の理由でシャッターが下ろされているのだが、先週、秋篠宮が現れたとかで、飾り付けの撤去の日程の都合で、展示がされていて、ラッキーであった。また、市民ボランティアの説明員の方が、時間をとって説明をしてくれて、とても有意義であった。
学生たちは何を理解したのか。来週、その報告を聞く。

葬送について

 若い友人が亡くなって、6月19日(土)はその偲ぶ会に出席してきた。
 亡くなった本人のように30歳そこそこでなくなったのだからご両親やご親族の心痛いかばかり、といったところであるし、同級生たちにとっても、思いもかけない経過をたどったのだから、それは、心残りで、嗚咽が漏れることも当然のことだろう。
 本人の最後に接した人たちが語るかれの語録は、いかにもかれを髣髴させるものだった。年齢以上に悟りきった物言いで、がんと戦い抗がん剤の副作用に苦しむ自分は「修行僧だ」といってみたり、死期を悟ったかのように人々の記憶の中に歴史化され、人々の関係のなかの記憶と化してゆく自分自身を客観的に説明してみたりしていた。
 しかし、考えたのだが、このような会を開くことは、日本の状況では、「若い」そして「将来を嘱望された」少壮学者をおくるというのはある意味当然の事のように思えるのだが、アボリジニの社会だったらどうだっただろう。もちろん、若者の早すぎる死について嘆き悲しむことは同じであろうが、それでも、ある種、もう少し様式化されたものであるはずである。
 どのような死であれ、死者をおくる葬式は葬式である。もちろん、葬式は死者をいたむものであると同時に、生者に死を納得させるものでもあるはずで、痛々しい死であればあるほど、死者を無事に死者の世界に送り届けるだけでなく、生者を得心させねばならない。現代社会はそうした場合、特別な儀式を葬式に加えて設定しようとするが、アボリジニ社会はどうだろうか。おそらく、淡々としていつもと同じ葬儀をし遂げるに違いないと想像するのだが。
 私たちは、通常の葬式では、痛みをいやされないので特別なものを用意し、それに参列するということなのか。誰でも訪れる死は、いつどこでという点で違いがあるが、いるかは必ず訪れる。しかし、それに対して、本人がどのような思いを残し、遺されたものがどのように思うのか、果たして、通常の葬式では、いやされないのか。もしそうだとすると(明らかに、そのようになっているのだが)、どのようにしなければならないのか。何ができるのか。
 ずいぶん、面倒なことではある。

長浜またも延期

6月20日(日曜)に予定していた長浜行きだが、またも延期とした。台風はもう一日先だが、雨が予想されていたため。どうして、台風がこのタイミングでくるのか。
長浜の日程は、可能性のあるのは、7月4日10日あたりか?

長浜行き

6月20日日曜、長浜行きにサイドチャレンジします。前回は、季節はずれの台風接近でしたが、今度は、天候はどうでしょうか。今週は、上場の天気が続いていますが、日曜あたりから下り坂のようです。予報では曇り時々晴れ、降水確率30%というのは、ちょっとつらいか。

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