@ 河邉真次(南山大学大学院)「カトリック社会における祖先観に関する一考察:メキシコ・イダルゴ州ワステカ地方の死者の日の事例を中心として」
本研究では、イダルゴ州ワステカ地方(Huasteca Hidalguense)ナワ(nahua)社会における民衆カトリック的祝祭である「死者の日」に焦点を当て、ナワの世界観における死者のイメージとその認識上の分類を明らかにすると同時に、その社会的機能と意味を再考することを目的としている。多くの先行研究では、この祝祭における死者の社会的機能に関してはある程度議論が進んでいるものの、死者そのものに関する根本的な議論は行われてこなかった。しかしながら、民族誌を詳細に検討すると、「死者の日」に現世に回帰する死者の中には、一定の機能を果たす特定の範疇が存在していることが分かる。そうであれば、死者のカテゴリー分類により、ナワ社会の死者崇拝の実態が明らかにでき、それと緊密に結び付く民衆カトリック理解の一助にもなるはずである。以上の予備検討を踏まえた上で、本発表では次のように議論を進めていく。はじめに、研究対象地域であるイダルゴ州ワステカ地方ナワ社会の社会・文化的様相を概観し、続いて、ワステカ地方の複数のナワ社会における「死者の日」の事例から導出された儀礼モデルを提出する。また、併せて社会生活における死者の出現機会を複数取り上げ、その中に見られる「死者観」を整理するとともに、分析概念としての死者崇拝の私的/公的側面についてとりまとめる。ここでいう「私的/公的側面」とは、私的家庭レベルで実践される土着要素とより習合した信仰体系と、共同体レベルで実践される集団アイデンティティと関連付けられた信仰体系を意味している。ここで抽出した分析概念を念頭に置き、まずは家庭レベルにおける私的死者崇拝を取り上げるが、その具体的アプローチとして、社会構造、世界観、死者への態度の三点からの分析を試みる。この分析を通じて、崇拝対象となる死者が親族系譜上の祖先と同定されることが明らかとなるであろう。続いて、共同体レベルにおける公的死者崇拝に関して、「死者の日」の祝祭に不可欠な民俗芸能ビエホス(viejos)の踊りと、その中に表象される死者のシンボリズムの分析を通じ、集落レベルでの死者の社会的機能を考察する。加えて、ビエホスの季節的周期的な来訪という点に注目し、公的死者崇拝における死者の意味を検討する。結論として、同地域における「死者観」を総括し、死者の日の祝祭の機能と意味を、祖先=異人に対する祭祀複合であることを析出するものである。
|
@ 金龍範(中部大学大学院)「中国延辺朝鮮族自治州における韓国系キリスト教の宣教活動」
中韓国交樹立以来、中国の朝鮮族は韓国との盛んな民間交流を通じて民族文化のリバイバルを図り、韓国人の資金援助を受けて各種の民族学校やキリスト教会を建設し、多くの韓国宗教人は同胞が多く住む延辺で活動している。また、よく知られているように北朝鮮からの脱北者を支援しているのも韓国の宗教人である。中国における韓国の存在が大きくなるにつれ、韓国人と同じ民族としての中国の朝鮮族にも宗教や経済、文化など諸方面で変容を迫られている。
本論文では、以上のような中国延辺朝鮮族自治州における韓国との民間交流の中で韓国人キリスト教会の活動に焦点を絞り、具体的にその特質を明らかにし、その上で、それがこの地域にどのような変容をもたらしたのかを実証的に検討するものである。
研究方法;本研究は主として現地調査(インタビュ−調査)とそれを通じて収集した資料を使用した。中国延辺のキリスト教の再開、復興、現状、発展の趨勢など明らかにするために現地調査を行うことにした。2002年中国延辺で予備調査を実施した。この調査の経験をもとに、調査の内容、調査に方法についても検討した。調査対象者(キリスト教徒、宣教師、牧師など)選んで質問票を用いた聞き取り調査をすることにした。これは韓国系キリスト教会の宣教活動と朝鮮族教会の実態を調査することに目的があった。
この予備調査によって得られた経験と情報をもとに、2003年8月から9月まで延辺現地の朝鮮族教会を訪問しながらインタビュ−した。そして2004年2月にも韓国で韓国宣教師など訪問して、インタビュ−し、聞き取り資料の確認と補足を行った。
本論文では、韓国は中国における近年の目覚ましいキリスト教の浸透ぶりを注目して、韓国の宗教活動を軸に中国朝鮮族と韓国の民間交流を論じられている。本論文の構成を簡単に紹介すると、以下のような5章からなっている。
第一章では延辺朝鮮族の由来から始まり、延辺朝鮮族自治州の地理位置や人口分布などを紹介した後、中国朝鮮族の国家と民族意識、母国語と母語について述べる、そして中国朝鮮族と中国、韓国、北朝鮮の関係も包括的に述べる。
第二章では延辺朝鮮人教会について歴史的考察と解放後の状況について検討する。19世紀中葉以後、朝鮮人は各種の宗教を携えて中国延辺に移住してきたが、それにもまして多くの影響を受けたのはむしろ西洋から伝来したキリスト教であった。それについて歴史的考察が試みられ、そして、移住初期から中国延辺を中心として東北各地に建てられたほとんどキリスト教の学校と教会は朝鮮族の民族教育や民族独立運動の発展に何の役割を果したかについても検討してみた。次に、中華人民共和国成立後中国大躍進前後、文化大革命の前後期及び解放初期、各時期中国の宗教政策とキリスト教の実態を解明する。
第三章では、筆者は延辺朝鮮族キリスト教の台頭、構成、韓国系キリスト教の進出、朝鮮族キリスト教の現状を明らかにするために現地調査を行ったが、それをもとに、筆者が現地調査で収集したインタビュ−資料を活用して、韓国系キリスト教の進出過程、特性及び朝鮮族キリスト教の現状、問題点などについて具体的に分析した。
第四章ではなぜ韓国は中国延辺にこれほどまでキリスト教の宣教活動を行っていたか、いったい在中朝鮮族宣教の意味は何か、どういう方法で宣教したか、宣教中の問題点は何か。という問題に関して検討した。そして、韓国キリスト教の宣教条件、方針、福祉活動についても検討した。
第五章では朝鮮族信者と韓国宣教師の見る観点の比較しながら分析した。その結果まず、(1)韓国キリスト教は朝鮮族の精神生活に大きく寄与した。この前人々の崇拝したのは共産主義や毛沢東だったが、今、延辺はキリスト教の新天地となった。次に、(2)病院や学校などを建てることによって北朝鮮の亡命者や貧者、弱者を救済し、社会福祉と民族意識を高まる面でキリスト教が果した役割が大きい。
|
@ 宮崎実穂(名古屋大学大学院)「愛知県常滑焼における商品化と職人集団:伝統工芸とツーリズムの関係」
本研究では、愛知県常滑焼の現状に注目し、伝統工芸士のものづくりに焦点をあて、常滑焼の生き残りの方向性を産業観光による文化の商品化の視点で整理し、現代社会における文化の創造について論じることを目的としている。
従来の文化認識では、文化は「無意識の慣習」、または「閉じた意味と象徴の体系」と捉えられていたため、文化の異種混淆性は純粋性や固有性の消滅であるとか、「非真正」であるというように本質論的な概念や語りで語られてきた。しかし、現在では「伝統」の再創造論や文化の客体化論などのように、文化は積極的、意識的に客体かされ創出されるものだと捉えられている。
従来の文化認識では文化変容の象徴や文化の商品化など否定的に捉えられていた観光文化であるが、観光が国際的にも巨大な現象となった今、観光は文化に与える影響も大きく、その文脈においても文化は新たに創造される可能性をもつだろう。
常滑市のような伝統工芸品産業を抱える地域では、近年、産業観光によって地場産業の振興と地域の活性化を目指すという活動が盛んに行われるようになった。伝統工芸品産業が観光に着目するようになった背景には、グローバル化による日本の伝統的工芸品産業の低迷が主な原因であると考えられる。伝統的工芸品産業は長引く国内経済の不況とグローバル化による日本人のライフスタイルの欧米化や都市化、低価格な輸入品の増大などを背景とした消費の落ち込みにより、現在かなり危機的な状況にある。また、伝統的工芸品産業は後継者不足や原材料の入手難、新商品開発能力の低下などといった問題も抱えており、産業としての存立基盤を喪失しかねない状態にある。
こうした状況のなか、常滑市では2005年2月のセントレア開港と3月の「愛・地球博」の開催という大きな2大プロジェクトを契機とした産業観光を常滑焼の振興や地域の活性化につなげようとしている。このような産業活動のなか、伝統工芸士の生き残りをかけた実践において、常滑焼が「雑器」から高付加価値をもった「常滑焼」へと創造されるプロセスを記述し、文化は常に歴史の内外の影響によって客体化され創造されるものであるということを主張し、従来の文化認識の本質論的な概念や語りを否定する。さらに、それを1000年の常滑焼の歴史における常滑焼文化の再創造と関連させ、歴史は文化の再創造が積み重なって成り立っているものであるということも主張する。
また、高付加価値をもつ「常滑焼」が創造されたことで、「常滑焼」のアイデンティティが構築されたということを主張し、従来「無意識の慣習」であるとかアイデンティティを構築するものではないと捉えられていた文化が、実は、意識的なものでありこれが客体化されて、それが文化的アイデンティティを強めるというメカニズムをもっているといえるのではないだろうかということを示唆する。そうであれば、従来「土着」という概念で捉えられ「閉じた社会」といわれた「未開社会」の文化の崩壊についても改めてそういった目で見ていくことを指摘する。
|
@ 浅野史代(名古屋大学大学院)「ブルキナファソ、ザブレにおける女性の<自立>活動:現地NGOのエンパワーメント」
第3世界で先進国による開発が開始されてから半世紀以上が経つ。それら先進国による開発が批判されるに及んで、草の根組織であるNGOが開発を担う形となりつつある。現在では、先進国だけではなく、途上国にも数限りないNGO組織が確認されている。西アフリカのブルキナファソもその例外ではなく、2000年には国内で280ものNGO組織が登録されている。そのうちブルキナファソ国内でブルキナ人によって設立されたのは99組織ある。本発表では、その中の1組織である、ザブレに本部を置く女性NGO組織、Pag-la-Yiriを事例に挙げ、組織の設立過程の特色や活動内容を報告するとともに、これを女性の「自立」という観点から考察する。
Pag-la-Yiriは多くの女性が陥っていた経済問題を改善しようと、1975年に非識字者である地域の5人の女性によって組織された。1988年に組織は独立組織であると公認され、「ザブレの女性組織Pag-la-Yiri」という名称でNGOにも認可された。2000年の報告によると、組織はブルキナファソの3州、200もの村で活動している。女性10000人、男性1000人の会員を有しており、ブルキナファソでも大きなNGOの一つとなっている。Pag-la-Yiriは地域女性のエンパワーメントを目標に、農業活動、社会活動、経済活動と幅広く活動している。
途上国の多くのNGO組織の設立者は、高学歴者であったり、地域において社会的な力の強い男性であることが大半である。しかし、Pag-la-Yiriの場合、設立者は非識字者であり、女性であることが最大の特色だと言える。現在、組織の26人の職員はすべてブルキナ人である。他の多くのNGOは大学・大学院を卒業している人を雇っているが、Pag-la-Yiriでは、最も高学歴である職員でも中学校卒業程度であり、職員と会員の壁が低いと言える。
Pag-la-Yiriが行っている活動は、その設立過程、組織形態からも内発性を重視したものである。Pag-la-Yiriが行う活動の中で、西欧的思考での「失敗」という開発評価が下されるプロジェクトが多々ある。しかし、それでもPag-la-Yiriが活動を持続しているのは、これがNGOという枠組みではなく、地域の共同体という存在であるためではないか。西欧モデルの発展、とくに経済的発展だけが「成功」なのではなく、発展の道程は多様であることをPag-la-Yiriの活動は示している。これは内発的「非西欧型」発展と呼べるものである。
|
@ 神谷良法(名古屋大学大学院)「伝統医療の多様性――北カメルーン・ポリの二人の伝統医療従事者の比較を中心として」
所謂「伝統医療」という存在は,ある民俗世界の世界観,象徴的思考をどのように捉えるかという文化人類学者たちの好奇心を満たしてきた存在であった.たとえば,アフリカにおいては,エヴァンズ=プリチャードやターナーなど多くの人類学者によって研究されてきた.これらの研究の多くは,ある特定地域を閉じられた完結した社会として描き出す傾向があった.しかしながら,このような研究は,活発な移住やメディアの発展を特徴とする現在においては難しい.また,このような研究によって,位置づけられてきた「伝統医療」という概念は,近代医療に入らないものとしてアプリオリに決定されてきたものであると考えられる.すなわち,「伝統医療」というものは,近代医療に含まれないものとして一括りにされ,近代合理主義的思考に奇異にうつるものがクローズアップされてきたといえる.ただし,現在においては,「伝統医療」という言葉は調査地においても用いられており,このような「伝統医療」の構築過程についてのみ論じることは不可能となっている.そこで,本発表では,まず,このような錯綜した現状を報告することを第一の目的とする.第二に,調査地においても「伝統医療」として括られているものが,その実,「近代」と相互作用しながら働いている多様な存在であることを明らかにする.そのうえで,このような状況の原因となっている社会背景についても考察を行なう.
本発表は,北カメルーン・ポリにおいて活動する伝統医療従事者の比較を中心に進められる.二人の伝統医療従事者は,現地共通語において同様の区分を与えられているが,両者の患者層や治療費,病気に関する説明は大きく異なっている.一人は科学的なものとの関わりをもたず,非常に高価な治療を要求する一方,もう一人は,「科学的」な説明を行ない,比較的低価格で治療を行なう.発表者は,この二人の比較を通して,両者の力の保証のあり方の違いについて考察を行なう.この結果,前者の伝統医療従事者が自らの異質性を強調することによって,自らの力を保証しているのに対し,後者は,近代医学の模倣を行なうことによって,その力を取り込み,自らの力の保証としていることが明らかとなる.また,このような両者の異なった戦略が現れる背景には,伝統医療従事者本人が社会の中でどのようにありたいかという欲求や,近年カメルーンにおいても盛んになっている国家による伝統医療の再評価といったものが存在するのである.
|
|
|
|
|
|
|