2006年度修士論文発表会 発表要旨

 

中部人類学談話会では、 2007年度5月例会(2007年5月19日)において、2006年度修士論文発表会を行います。関係の皆さんには、ぜひご参加いただきますよう、ご案内申し上げます。
 
2007年5月4日 現在までに受付た発表要旨(受付順)

 

菅沼文乃(南山大学大学院人間文化研究科人類学専攻)

生きがいの人類学:生きがい推進事業における高齢者の実践から

■ 本論は現代日本の「老人・高齢者(以下高齢者と記す)」を対象とし、高齢者福祉に基づく政策とその対象となる当事者たちの活動の観察をとおして、彼らの社会的状況とそのなかで行なわれる実践、そして両者の関係を捉えることを目的とする。
■ 社会科学研究において高齢者は、主にある社会における「高齢者」に関する文化的事象や、高齢者コミュニティといった側面から捉えられる。しかしここで設定される「高齢者」は客体化された対象であり、主体としての高齢者、そしてその実践を捉えようとする研究は充分に行われているとはいえない。そこで本論では「高齢者」という存在を、その当事者自身の活動から探ることによって、従来の研究とは異なる視点からの記述を試みる。
■ この問題設定に基づき、本論では「生きがい」イデオロギーに着目する。近年高齢者福祉の場で「生きがい推進事業」が展開されているが、本来「生きがい」とはいかに生きることを有意味化するかという私的行為におけるキーワードである。本論では私的なものであるはずの「生きがい」を公的に規定し、推進しようとすること、すなわち「『生きがい』の社会化」により、「生きがい」というイデオロギーが作り出されたと考えた。
■ また、政策が「生きがい」イデオロギーを提供する「場」として生きがい推進事業サービスを設定し、そこでの「高齢者」の実践を考察するため、愛知県春日井市の老人会趣味クラブと、岐阜県多治見市の老年大学で聞き取り調査を行なった。高齢者は「生きがい」イデオロギーによって提供されるサービスに参加するが、それは生きることを有意味化するために高齢者の生活の中から選び出されるイディオムのひとつに過ぎない。また、政策が想定する「生きがい」は、老人・高齢者の「主体的な社会参加」への期待を持って提供されるが、老人・高齢者は自身の生活全体の文脈に沿ってそれを利用する。すなわち彼らの実践は、政策が想定し、イデオロギーが提示する「高齢者の主体性」によって全て説明されるものではないと考えられる。(2007.4.25)

吉田早悠里(名古屋大学大学院 文学研究科)

現代エチオピア国家におけるマンジョの主体構築:差別される人々の視点

■ 本発表は、エチオピア南西部カファ地方に生活するマンジョが周囲の集団や国家との関係の中で、さまざまなイディオムを巧みに用いながら主体構築を行う姿を通算1年間にわたるフィールドワークから分析したものである。
■  エチオピア南西部カファ地方は人口約83万人(2006年現在)であると推定され、そのうちの大部分がアジア・アフロ語族オモ系のカファ語を話す農耕民カファの人々である。カファ地方には、カファの他に人口の約5〜10%を占めるマンジョと呼ばれる人々がカファと入り混じりながら生活しており、マンジョはカファと同じ言語を用いているが、カファから差別され、忌避されている。
■  カファがマンジョを差別する原因は、主にマンジョの食習慣、身体的特徴、性向に求められるが、近年の社会・経済の変化の中でマンジョの生活は大きく変化し、マンジョはカファによる差別の原因とされてきた習慣をも変化させてきた。しかし、カファによるマンジョへの差別は維持され、持続している。そこで、まずカファによるマンジョへの差別がどのような相互関係のもとにあるのかについて明らかにする。
■  1991年以降の現政権の下ではマンジョは少数民族と同じ扱いを受け、アファーマティブ・アクションを受けるようなった。だが、マンジョはカファ社会にてカファから差別され、行政役職や警察官、教師の職を獲得できていない。これに対し、マンジョは自らの社会的権利の保障や、特別行政地区の設立を求める請願活動を政府に対して行ってきた。さらに、2002年にはカファ地方とシェカ地方にまたがる地域でマンジョがカファを襲撃事件するという事件も発生している。そこで、マンジョはカファから差別されていることさえも自らを表現するイディオムとして用いているのだと考え、マンジョが自らの置かれた状況の中で周囲と自らとを接合しながら自己の主体構築を行っているのだと発表する。(2007.4.25)

土屋 直美(南山大学大学院国際地域文化研究科国際地域文化専攻修了生)

今日の花祭りにおける参加者集団の構造:愛知県奥三河地方・御園花祭を事例に

■ 本研究は、愛知県奥三河地方で行われている花祭について、その今日における参加者のありようを明らかにするものである。
■ 従来、祭りや儀礼は共同体に関わる問題とされてきた。祭りとは、共同体の信仰や歴史・政治・経済・社会関係の表出する場であり、そのため人類学や民俗学において常に重要な研究対象となってきたのである。しかし今日、人口の減少や外部からの注目の高まりを受け、地域の枠組を越える雑多な人々が祭りに参加するという現象が起きている。共同体の「伝統」を体現する祭りに共同体外の要素が入り込むとき、それらはいかに処理され、取り込まれていくのだろうか。
■ 以上を踏まえ、本研究では愛知県北設楽郡東栄町御園地区の花祭を事例に、地域共同体という枠組を越えて形成される今日の花祭の参加者集団に着目し、その構造を明らかにすることを目的とした。
■ 上記の課題について、本研究では二つの方向からのアプローチを試みた。まず、御園花祭における参加者の分析である。今日の御園花祭には、御園居住者の他にも親類や観光客など多様な人々が関与しているが、これらの参加者は全員が同じように祭りに参加しているわけではない。そこで、本研究では御園花祭の参加者を参加条件の違いから「観衆」「舞手」「神事を担う者」の三つに区分し、それぞれの集団の外縁を規定している条件を明らかにした。
■ 次に、個人がいかに花祭を経験していくかについて、ある参加者のライフヒストリーを通して考察した。インフォーマントは、元来全くの部外者でありながら、徐々に祭りに関わるようになった人物である。彼の経験を辿ることで、個人が祭りに組み込まれていく具体的な過程、さらには祭りにおける外部者の包摂と排除のありようが明らかになった。
■ 以上の事例分析から、御園花祭の参加者集団は「共有する経験の深度」を根拠にした重層的な構造を成しているということを指摘した。すなわち、御園花祭の「ウチ」と「ソト」は、一本の絶対的な境界線によって隔てられているのではなく、文脈に応じてその範囲を伸縮するのである。(2007.4.25)

井下知香(南山大学大学院人間文化研究科人類学専攻修了生)

今日の民俗芸能がおかれている存続の文脈:三遠南信地域の霜月神楽を事例として

■ 本研究は、現代における民俗芸能がどのような社会的文脈にあるかを、その当事者の語りから考えることを目的としている。その事例として、「三遠南信」と呼ばれる地域の山間部、すなわち愛知県奥三河地方・静岡県遠州地方・長野県南信州地方で伝承されている、同一系統の霜月神楽をとりあげる。なかでも私が対象とした民俗芸能は、愛知県東栄町・豊根村の花祭りと、長野県天龍村向方のお潔め祭りである。
■ 戦後、特に高度経済成長以降、日本の社会は急速に都市化してきた。それとともに、民俗芸能の在り方も変化した。元来、当事者が当事者のために行なってきた民俗芸能は、それ以外の新たな文脈を獲得したのである。具体的には、研究者によって研究対象とされたり、文化財行政によって文化財として保護されたり、観光資源として利用されるようになった。これらはすべて、「古風」「伝統」「素朴」などの要素(本研究ではこれを「民俗」と呼ぶ)が、客観的に存在するものとして民俗芸能に見出された結果なのである。逆の言い方をすれば、民俗芸能に「民俗」が見出されたのは、変わりゆく社会のなかで「民俗」を留めることに「価値」が見出されたからなのである。
■ そしてこのことが、当事者が、自ら行なう民俗芸能に関して説明する語りに表出している。彼らの語りには、町村によって差異があることがわかった。すなわち、東栄町住民は自地区や自町内で完結した説明をし、豊根村住民は東栄町の花祭りや長野県の霜月祭りと比較して、天龍村住民は豊根村住民と同じく、主に花祭りと比較して説明するのである。この町村によって異なる語りの背景には、町村によって研究者やその研究・文化財行政・観光の文脈と異なるかかわり方をしてきた、ということがある。つまり、当事者の語りから、三遠南信地域山間部の霜月神楽が、「民俗」に「価値」をおくという民俗芸能の新たな文脈に乗っていることがわかるのである。(2007.4.25)

松波康男(南山大学大学院人間文化研究科人類学専攻修了生)

バラカの具現と分配:エチオピア西部ヤア聖者廟村の事例から

■  本発表の調査地であるヤア村は、エチオピア西部のムスリム・オロモにとって聖地となっている。村の中心には、ティジャーニーヤの導師アル・ファキー・アフマド・ウマル(Al-Faki Ahmad Umar)の廟が存在し、その周囲に聖者とは血縁がない一般のムスリムが居住することで集落が形成されている。
■   本発表の焦点はヤア村で生活する住民にある。村の成立から現在までの通時的な変化を追うと同時に、住民の社会、宗教生活の今日的状況について報告し、住民が続けてきた参詣者へのもてなし行為がどのような住民活動によって成り立ち、どのような意識によって存続されてきたのかを明らかとする。さらには、このもてなし行為がヤア聖者廟村でのバラカをめぐる動きのなかにどのように位置づけられるのかを考察したい。
■   バラカという語は、特殊な言い回しやウラマーなどの一部の知識層のみによって使用される専門用語ではなく、ヤア村の住民生活において頻繁に聞かれる日常語である。身の回りの小さなことから国家に関わる重要な出来事にいたるまでバラカとの関連を持って語られる。クラパンツァーノ[Crapanzano 1973]は祭日に聖者の末裔の代表が参加者に分け与えるパンには特別のバラカが宿っているとしている。また、鷹木[2002]は祝祭日に聖者子孫の家々の屋上からバラカを宿すと住民に考えられているパンが撒かれる行事を報告している。これらの例に限らず、従来の報告からは祭日の聖者廟において、聖者の子孫と一般の参詣者の間でバラカが動く傾向が顕著にみられる。
■   本発表で取り上げるヤア村では、聖水、参詣者に用意される宿、食事などにバラカが宿るとされており、祭日に村を訪れる参詣者はそこでバラカにあやかることを強く期待している。ヤア村で参詣者が手にする聖水、宿、食事の準備には聖者の子孫集団は関わっておらず、村住民が主体となり、普段の生活のなかで日常的にその準備を行っている。この住民の活動は、換言すれば、村のバラカを具現する活動であるともいえるのである。

参照文献
Crapanzano, V. 1973 The Hamadsha : A Study in Morrocacan Ethnophychiatry Berkeley: University of California Press.
鷹木恵子 2002 『北アフリカのイスラーム聖者信仰―チュニジア・セダダ村の歴史民族誌―』東京:刀水出版。
(2007.4.25)

深田 亜矢子(愛知県立大学大学院博士前期課程修了生)

韓国農村における社会構造とその変容:全羅南道谷城郡山間部農村の事例から

■ 本論文では、数回にわたるフィールドワークをもとに、人口が少なく高齢化の進む韓国農村の現状を分析し、農村の住民をとりまく関係性や問題点を考察する。
■  韓国では、1960年代半ば以降農村から都市への人口流出が激増した。1962年以降の大都市に偏った経済開発や国土開発が、第一次産業を衰退させ、地域間格差を生んだ。さらに1980年代、著しい経済発展を遂げた韓国に対し市場を開放していくことが国際的に求められ、穀物の自給率は現在も低下している。そのような中、農村では人口が減少し続けている。
■  血縁関係が地縁関係を上回るといわれてきた韓国社会であるが、農村部の人口減少や住民の高齢化によって住民間の関係に大きな変化が生じている。調査地では、長男が両親と同居し本家を形作っていた伝統的な家族形態は、都市への人口流出が激しくなる1970年代半ば頃から変化し始めた。家族そろって、あるいは子どもたちが単独で、教育や仕事のために都市へと出て行くようになり、農村における家族は、都市で生活する子どもと農村に暮らす親という結びつきに変わった。また、一族の多くが都市へと出て行く中で、調査地はlocalized lineageという位置づけから祖先たちが住んできた村としての象徴的意味に変わった。
■  さらに村の組織が縮小されていく中、婦女会や敬老会、村全体会議はほぼ同じメンバーから成っており、伝統的な地縁組織も活発とはいえない。
■  その一方で、調査地をとりまく関係に目を向けると伝統社会には見られなかった新しい要素が見られる。調査地では近年、都会からのIターン移住者や別荘として村内の空き家を購入する人があらわれている。また、農村体験事業を通して調査地に来る子どもたちや外国人など、伝統的社会にはなかった新しい関わり合いが見られる。郡との関係も、今後の調査地を考える上で大切になっている。
■  人口減少と高齢化の進む調査地では現在、このような新しい関係性の中でこれからの活性化に向けて模索している。(2007.4.29)

山中 千紗子(名古屋大学大学院文学研究科)

岩手県鬼柳鬼剣舞における舞踊実践:民俗芸能の身体表現に関する人類学的研究

■  修士論文では、日本の民俗芸能鬼(おに)剣舞(けんばい)を対象に、伝承者の身体に注目しながら民俗芸能の習得とその実践の重要性を示すことを課題とした。鬼剣舞とは、岩手県北上市に伝承される風流念仏踊のひとつであり、鬼の面を付け激しく踊ることから鬼剣舞と呼ばれている。大宝年間に修験道の祖である役の行者が布教し広めたとあり、反閇を踏む舞いが含まれることから、剣舞の読みは反閇に由来するともいわれている。現在、岩崎鬼剣舞を元祖として約20の団体から構成される。
■  そして、数ある団体の中でも、年間50回前後の依頼公演をこなす団体(鬼柳(おにやなぎ)鬼(おに)剣舞(けんばい))の伝承活動に注目した。鬼剣舞は、神社で定期的におこなわれるような例大祭とは違い、随時受付けている依頼公演を軸に年中活動している。そのため、様々な場で踊ることが求められていた。現地調査では、公演とその前後の練習見学を中心に一年半おこない、自ら一ヶ月間の体験入門をして鬼剣舞を習得し実践する機会も得た。そして、鬼柳鬼剣舞では、鬼剣舞の諸特徴を公演という実践の場で生かし、その実践力を伝承活動の活性化に繋げていたことが分かった。その舞踊実践は、練習方法と公演での即興力に独創性がみられる。練習は、公演に合わせるのではなく一貫した練習内容を継続し、各公演の形態に合わせて基本的な身体技法を駆使して踊っていた。そして、踊り手らは各々で身体技法を徐々に形成し、練習と公演を積み重ねることで身体技法の更新を繰り返していたのである。
■  従来、民俗芸能の習得は段階的な過程があると捉えがちであった。しかし、本論文では、その発展的図式を批判するとともに、一様には示せない個々の身体技法の習得および実践の重要性を指摘したといえる。修士論文は鬼剣舞に対象を絞った内容となっているが、他の民俗芸能においても「本来の」場だけでなく、物産展など多くの場で踊ることが求められている現状にあるだろう。よって、今後は他の民俗芸能の伝承活動も追求してゆきたいと考えている。 (2007.4.30)

清水貴夫(名古屋大学大学院文学研究科)

アフリカ都市の若者文化の都市人類学的研究:ワガドゥグのラスタの事例から

■  ラスタ運動は1930年、エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ鵯世(Haile Serasie鵯)の即位とともにジャマイカで生起する。ラスタ運動の原型はマーカス・ガーヴェイ(Marcus Gervay)による旧約聖書に基づく黒人の権利回復、アフリカ回帰などを求めた文化社会宗教運動である。ラスタ運動は、1930年以降、ジャマイカを中心とする英語圏で広がりを見せ、1970年代には、ボブ・マーリー(Bob Marley)らレゲエ音楽が世界的に流行したことに伴い、急速に世界中の若者を中心に広がりを見せた。
■  本研究の調査地、ブルキナファソは西アフリカの内陸国で、フランス語を公用語としている地域である。ブルキナファソの首都ワガドゥグには、7つのラスタコミュニティがあり、音楽演奏活動、楽器・民芸品作成、民芸品・楽器の路上販売などを生業している。
■  修士論文では、2つのラスタグループについての民族誌的検討を行い、ラスタの活動を都市に特有の現象として論じた。都市という空間に集まった多様な若者達は、「個人化」(メルッチ1997『現代を生きる遊牧民−新しい公共空間の創出に向けて』岩波書店)しており、ラスタを新しい集団的アイデンティティとしてネットワークを形成し、さらに文化表出にいたるまで影響を与えている。
■  本発表では、このうちLグループの民芸品を巡るネットワーク形成と生業について民族誌的報告を行う。ワガドゥグのラスタは主にナサラ(Nasala:異人、外国人)に対する民芸品・楽器の販売によって生活の糧を得ているが、ラスタが民芸品や楽器を扱うのは、経済的事由ばかりではなく、こだわりやメッセージがこめられている。ラスタを自称する者の多くは、移民2世か1世が多く、完全に出身地とのつながりがなくなっているとは言えない。こうした複合的な都市の民族・国籍状況下で、ワガドゥグの民芸品を巡って、多様な文化背景を持つ者同士が潤滑なコミュニケーションを保ち、共通のアイデンティティを創出する過程を見ることができるのである。 (2007.5.4)

 

以上